10年先も一緒に笑っていられる社会に。
「他の誰かの人生」に込めた、仲間への思い。


お名前 : 新條 隼人

役職 : 代表取締役CEO


「やりたいことをやる人生を、あたりまえに」というミッションの元、個人の人生にフォーカスしたメディアanother life.を運営。社会人2年目に会社を辞めて独立を決めた背景には、身近にいる仲間と「10年先も一緒に笑っていられないかもしれない」という危機感がありました。


「結果しか残らない」という強烈な後悔

東京に生まれ育ち、小中学校と地元の公立校に通いました。
小学校までは友達の輪の中心にいるようなタイプだったのですが、
中学に入ってからは、つるんでいる仲間の影響もあり、
どこか不良っぽくしている方がかっこ良いと考えるようになっていきました。

ピアスを開けて学校に行ってみたり、友達と面白半分にやんちゃをしてみたり、
完全に「調子に乗った中学生」でした。(笑)

ただ、勉強はわりと出来る方で、テストの点数はいつもよかったので、
自分自身、「サボっているけれど、勉強ができる」ことが、カッコいいと思っていたんですよね。

そんな背景もあり、中学3年になり、周りが受験勉強を始めても、
皆と同じように塾に行って受験勉強をして、というのがダサいと感じ、
ギリギリまで勉強に力を入れていなかったんです。
それでいて、目指していたのは都立でも難関とされる学校で、
しかも、家庭的な事情で私立には行けないため、不合格は許されないという状況でした。

正直、自分の学力との乖離は大きかったものの、なんとかなるだろうという盲目の自信がありました。
また、3年生の終盤に通い始めた塾の恩師から、

「お前は天才だ」

と言い続けてもらったんですよね。
そんな言葉を信じて、勉強を続けました。

ところが、冬の模擬試験の段階になっても思わしい結果が出ませんでした。
元々、その判定が一定を超えていなければ志望校を下げるという話だったこともあり、
結局、校風が合うと思える他の学校まで志望校を下げることになってしまったんです。

結果としてなんとか都立校に入ることができたものの、
周りでは、学校の成績が自分より低かった人が、偏差値的に上の学校に行っていたこともあり、
すごく悔しかったですね。

自分は天才ではないという失望に加え、

「結局、結果しか残らないんだな」

という強烈な後悔がありました。

どれだけダサいプロセスでも、人が見るのは、後に残るのは、結果だけなんだ、
やりきれない悔しさの中に、そんなことを感じたんです。

180度変わった考え方を肯定する成功体験

その後、高校に進学してからは、絶対に学年でトップを取ろうと決め、
考え方を180度変え、毎日授業の予習・復習をするようになりました。
見下していた、コツコツした努力を、自ら始めたんですよね。
小学校から続けていたサッカー部に入り、授業と部活で1日が終わってしまうような毎日でしたが、
高校受験で感じた悔しさは消えることがなく、自ら机に向かうことを怠らずに続けていました。

そんな高校生活を経て、大学受験を迎えると、
元々、幼いころから漠然と起業に関心があったこともあり、
経営を学べる、国立の大学に進学しようと考えるようになりました。

具体的なイメージは無いものの、自分一代でどこまで成り上がれるのかに関心があり、
例えば、一般家庭に生まれて、総理大臣になれるのか?等に興味があったんですよね。
ただ、政治にあまり興味が持てなかったこともあり、
社会に0から価値を生み出す手段としての起業に憧れをいだくようになりました。

ただ、高校受験と同様、かなり実力に乖離のある志望校を設定しており、
その高校からは1年に1人進学者がいるかいないかという状況だったんです。
だからこそ、受験が近づくに連れ、とにかくストイックに勉強を続け、
学校の休み時間も勉強、寝ている時も問題を解く夢を見るという日々を過ごしました。

そして迎えた受験本番、「合格最低点+7点」という成績でしたが、無事合格することができたんです。

完全に落ちたと見切って、入学手続き書類を捨てており、親には激怒されましたが(笑)、
目標に対して継続的に努力をしたことが成果につながり、すごく嬉しかったですね。
自分の価値観のシフトを肯定してくれるような、大きな成功体験でした。

人がどう生きるかの根幹への価値提供

その後、大学に入学した1年目の夏、母校の高校で進路講演会の講師を務めて欲しいという話をいただいたんです。
その会は、高校2年生が授業選択を行うにあたり、大学受験の話をOB・OGから聞くというものだったのですが、
そのテーマを聞いた時に、なんだか違和感を感じたんですよね。

そこには全員が大学進学を目指す前提があり、大学に行くことが目的となっているような印象を抱いたんです。
正直、自分でも冷静に振り返ってみれば、ほぼ大学受験は「リベンジ」のようなもので、
大学に入って何をしたいか等についての考えも、ほぼ皆無でした。

だからこそ、テーマとは少し離れながらも、
なりたいものややりたいこと次第では、大学ではなく専門に行ったりそのまま就職した方が良いかもしれない、
という話をさせてもらったんです。

すると、会が終わった後に、何人かの学生から、

「今日の話を聞いて世界が広がった、救われた」

という声をかけてもらったんですよね。
そんな言葉を貰ったことに嬉しさを感じると同時に、大きな驚きがありました。

大学1年生と高校2年生、たかが2年しか先に生きていないのに、
彼らがこれからどうやって生きていくかの根幹に価値を提供できた気がしたんです。
そこに強烈なやりがいを感じ、それからは毎年講師として同じ会に参加させてもらうようになりました。

描いた理想とのギャップを埋めるための就職

その後、改めて自らの大学生活の目標を、
自分の価値を高め、どんな環境でも通用する人間になることに決め、
学園祭の運営に携わってみたり、スウェーデンの協定校との交換ホームステイのプログラム運営を行ったりと、
学内を中心に、様々な活動を行いました。

しかし、大学の中で様々な活動を行う中で、
関わる人は皆自分よりずっと優秀な人ばかりなのに、
皆すごく均一な価値観を持っているように感じ、段々と大学が窮屈になっていったんです。
それからは、海の家で働いたり、渋谷のプリクラ屋で働いたり、
大学名を聞かれない環境に身を置くようになりました。

そして、大学3年生の就職活動の時期を向かえ、自分は何がしたいんだろうと再度考えると、
自分が憧れていた「起業」は手段でしかないということに改めて気づいたんです。
それならば、自分にとっての目的とは何だろう?と考える中でたどり着いたのは、
人がどう生きるかの根幹に価値提供をするということでした。

失敗をしても、人生をかけても良いと思えるのはその分野だけだったんです。

ところが、そんな風にぼんやりとした方向性は固まりながらも、
自分がその領域で起業をして何かを成し遂げるような、具体的なイメージが持てなかったんですよね。

そこで、まずは一度会社で働く中でそのギャップを埋めようと思い、
優秀な仲間と早くから裁量を持って働けるようなベンチャーへの就職を考えるようになりました。
就職活動を通じてたくさんの同年代と出会う中で、1プレイヤーとして自分より優れている人が一定数いることを感じていたため、
自分が注力すべきは、自分よりも優秀な人を自分のビジョンに巻き込む力を付けることだという思いがありましたし、
あとは、同じ大学の人が盲目的に大手企業に行くことへの反発心もありましたね。

そんな背景から、最終面接では数年以内に独立するという旨を伝えた上で、
Eコマースの決済を扱う未上場ベンチャーへの就職を決めました。

10年先も一緒に笑っていられないかもしれない

実際に入社してからは、元々の希望よりも早く、
1年目の秋、研修を終えてすぐに、法人営業の部署の要職を優秀な同期と2人で任せてもらい、
派遣社員の方や営業代行会社の方など、早いうちからマネジメントも経験させてもらうことができました。
また、非常にフラットな社風で、立場問わず意見が反映されるような風土があっため、
かなり早いうちから社会でも通用するという感覚を持つことができました。

しかし、一方で、最終的に自分で0から会社を立ち上げ、社会に価値を提供するということを考えると、
そのために必要なスキルや経験の全てを、従業員の環境で担うことは出来ないことに気づいたんです。
言い換えれば、「よし、全部揃ったから起業しよう」と思える日なんて来ないと感じたんですよね。

そう気づいた1年目の12月、社長に直接話をして、
業務の都合との兼ね合いから、2年目の終わりに会社を辞めることを伝えました。
本当に多くの機会を提供してもらっていたので、申し訳なさもありましたが、
居心地の良さに甘えてしまう不安もありました。

そんな風に退職の期限を決めてからは、仕事以外の時間の大部分を使い、自分のビジネスプランを考えるようになりました。
その中で、本を読んだり人に相談したり、色々な手段でブラッシュアップを試みたのですが、
どこか、空を掴むようなモヤモヤがあり、納得感を持つことが出来ませんでした。

そして、退職の引き継ぎも終え、有休消化に入った段階で、
半年以上準備したプランを、納得がいかず、一度白紙にすることにしたんです。
そこで、もう一度、自分は誰にどんな価値を提供したいんだろうと0から考えた時にたどり着いたのは、
2人の友人の存在でした。

もともと、2人とも学生時代は、将来はこんな風にしたいという夢の話を一緒にしていたのが、
社会人になり、それが少し変わってしまったんです。
週末に遊びに行っても、月曜会社に行きたくないとか早く結婚してしちゃいたいとか、
一緒にいて、どこか自分のやりたいことで社会と関わるのを諦めるような雰囲気を感じたんですよね。
そして、その状態から逃げるように馬鹿騒ぎをしてお酒を飲んだりして。

それが、自分にとってはすごくやりきれなく感じたんです。

今はこうやって一緒にいられても、
このまま行ったら、昔のような温度感や距離感で、10年先も一緒に笑っていられないかもしれない、と感じたんですよね。

同時に、人がどう生きるかの根幹に価値提供するという目標を掲げながら、
自分が一番身近な人に悩みに向き合ってこなかったことに後悔をしている思いもありました。

会社に退職を伝えながら、準備してきたことが白紙になった矢先、
その思いに気づき、やっと人生をかける覚悟ができた気がしました。

だからこそ、それからは、ひたすら彼らの顔を思い浮かべ、
やりたいことが見つからずにもやもやしている社会人に向けたサービスを作り始めたんです。

そして、最終出社を迎えた2年目の12月、以前から一緒に要職を任されており、
一番一緒に働きたかった同期を共同創業者に向かえ、
ほとんど何も無い状態で支援の判断をいただいたベンチャーキャピタルの出資を受け、
会社を退職し、新しいスタートを切りました。

やりたいことをやる人生を、あたりまえに

現在は、「やりたいことをやる人生を、あたりまえに」というミッションのもと、
株式会社ドットライフを立ち上げ、20代・30代の社会人をターゲットに、
個人の人生にフォーカスしたメディア「another life.」を運営しています。

自分の周りの友人のように、今の仕事や環境に対してやりがいを感じない人に向けて作っているのですが、
社会人になってから、そういう人がすごく増えたなと感じます。
それでも、どんなことがしたいか明確であれば、環境を変えるための転職や、
足りないスキル等を補うための資格勉強・留学等の解決策があると思うのですが、
多くの人は、「自分はどんなことがしたいか」が明確でないことで悩んでいると思うんです。

だからこそ、「一日だけ、他の誰かの人生を」というコンセプトで、
自分の取り組んでいることに情熱や納得感を持っているような方の人生を追体験することで、
たくさんの選択肢に触れ、比較軸を得ることで自分の価値観を明確にしていくことができるんじゃないかと思っています。

選べるが故に悩むというのは、社会的に成熟した今の日本だからこそ起こっている問題だと思うので、
今このサービスを行う意味も感じています。

今後は、自分のやりたいことを導きだすだけでなく、
それで社会と関わることにつなげていけるよう価値を拡大していこうと考えていますし、
まずは、「やりたことに悩んだらanother life.を見る」というような存在になれるよう注力していきます。
その先には、学生に向けた教育分野への展開もしたいですね。

私たちが取り組んでいる課題は、人が生きていく上で、すごく大きな部分をしめる要素だと思うんです。
しかし、ビジネスになりにくい側面があるからこそ、多くの人が悩みながらも、
そこに対して本気で解決策を作るための挑戦をしている人が少ないようにも感じます。

だからこそ、真っ向から向き合うことで、
自分の友達が、そして自分自身が笑って迎えられるような社会を作りたいと考えています。